中学の頃に集めていた70年代初期の音楽雑誌
今日、久しぶりにロック雑誌を買った。
その名も「大人のロック!」である。特集記事はクイーン、ZEP、ロック酒場。なかなか上手い。オッサンのハート鷲掴みである。
それはともかくとして、読んでいてふと思い出したことがある。
私は中学時代、重度のロック・マニアであった。
当然、日課としてエアチェック(意味はググってください 笑)をしまくっており、これぞというアーティストのアルバムについては全てを我慢して貯めこんだお金でもって、命がけで購入してたりしたわけで(笑。
小学生からの正月のお年玉の総合計とあわせついにフェンダームスタングを手に入れたあの時は、もう死ぬかと思うぐらい興奮したものであった(笑
また重度のロック雑誌ヲタでもあった。
私がロックを聴き始めたのは77年ごろからだ。
既にロックの旬の時代は終わってしまったという事は、中学の小僧であった私にもなんとなくわかっていたのである。
そのうち古本屋巡りをするようになっていた。
もちろん目当ては72年ぐらいから76年ぐらいまでのミュージックライフと音楽専科である。
雑誌でロックの黄金時代を追体験することで、埋めようとしたのである。
入手は簡単だった。
当時音楽雑誌は現在の数倍のマーケットがあり、田舎のちっぽけな古本屋であっても数件回ればあれよあれよと手に入る。
しかも激安だった。
だって買う奴なんて私ぐらいのものだから(笑
私は集めた古雑誌をかなりの期待をもって手にし、読み進んだ。
しかし、ある時点でそんな作業に飽きてしまった。
特集記事やレビューがあまりにも稚拙だったからである。
ネット等の情報源が無い時代というハンデはあるが、あの頃のレビュアー達の音楽的知識の薄さ、そして視野の狭さ、これはかなりイタかった。
そして当時のロック評論というものは非常に硬直化しており、まずカテゴライズありき。
カテゴライズからはみ出した音楽については極めて冷淡かつ、とんちんかんであった事もある。
特にブラックやカントリー、ブルースからの影響が強い音楽についてのスットコドッコイぶりは強烈であった(笑
仕方あるまい。
何しろレビュアー達にそうした音楽的素養が無いのだから。
更にプレイヤーあがりが少ない。
ギターやベース、キーボードの技術的な分析など見たことが無い。
なにしろDrが走ってるのか、もたってるのかすら理解出来ないのである、彼らは。
わからないのにプレイヤーに対し堂々と評論するのだから無茶苦茶である。
意味不明であり冒涜ですらある。
というわけで感情任せの叙情的な散文が堂々と羅列されるという最悪の状況が
当時の「ロック評論」であった。
渋谷陽一が自分で雑誌を作った理由がよくわかる(笑
というわけで、こんなものを続けて読めるわけが無いのである。
写真記事は当時の状況を伝えてくれて楽しいのだけど、そうした資料的な価値しか無かったというのも寂しい。
当時の日本のロックというのはメディアも未熟だったのだ。
こうしたことを思い出しながら「大人のロック」を読む。すばらしい成熟ぶりじゃない?俺はよい本だと思う。
その名も「大人のロック!」である。特集記事はクイーン、ZEP、ロック酒場。なかなか上手い。オッサンのハート鷲掴みである。
それはともかくとして、読んでいてふと思い出したことがある。
私は中学時代、重度のロック・マニアであった。
当然、日課としてエアチェック(意味はググってください 笑)をしまくっており、これぞというアーティストのアルバムについては全てを我慢して貯めこんだお金でもって、命がけで購入してたりしたわけで(笑。
小学生からの正月のお年玉の総合計とあわせついにフェンダームスタングを手に入れたあの時は、もう死ぬかと思うぐらい興奮したものであった(笑
また重度のロック雑誌ヲタでもあった。
私がロックを聴き始めたのは77年ごろからだ。
既にロックの旬の時代は終わってしまったという事は、中学の小僧であった私にもなんとなくわかっていたのである。
そのうち古本屋巡りをするようになっていた。
もちろん目当ては72年ぐらいから76年ぐらいまでのミュージックライフと音楽専科である。
雑誌でロックの黄金時代を追体験することで、埋めようとしたのである。
入手は簡単だった。
当時音楽雑誌は現在の数倍のマーケットがあり、田舎のちっぽけな古本屋であっても数件回ればあれよあれよと手に入る。
しかも激安だった。
だって買う奴なんて私ぐらいのものだから(笑
私は集めた古雑誌をかなりの期待をもって手にし、読み進んだ。
しかし、ある時点でそんな作業に飽きてしまった。
特集記事やレビューがあまりにも稚拙だったからである。
ネット等の情報源が無い時代というハンデはあるが、あの頃のレビュアー達の音楽的知識の薄さ、そして視野の狭さ、これはかなりイタかった。
そして当時のロック評論というものは非常に硬直化しており、まずカテゴライズありき。
カテゴライズからはみ出した音楽については極めて冷淡かつ、とんちんかんであった事もある。
特にブラックやカントリー、ブルースからの影響が強い音楽についてのスットコドッコイぶりは強烈であった(笑
仕方あるまい。
何しろレビュアー達にそうした音楽的素養が無いのだから。
更にプレイヤーあがりが少ない。
ギターやベース、キーボードの技術的な分析など見たことが無い。
なにしろDrが走ってるのか、もたってるのかすら理解出来ないのである、彼らは。
わからないのにプレイヤーに対し堂々と評論するのだから無茶苦茶である。
意味不明であり冒涜ですらある。
というわけで感情任せの叙情的な散文が堂々と羅列されるという最悪の状況が
当時の「ロック評論」であった。
渋谷陽一が自分で雑誌を作った理由がよくわかる(笑
というわけで、こんなものを続けて読めるわけが無いのである。
写真記事は当時の状況を伝えてくれて楽しいのだけど、そうした資料的な価値しか無かったというのも寂しい。
当時の日本のロックというのはメディアも未熟だったのだ。
こうしたことを思い出しながら「大人のロック」を読む。すばらしい成熟ぶりじゃない?俺はよい本だと思う。
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