東街区再開発地域
うちの事務所がある地域をこう呼ぶらしい。
アクトシティを南の端とし、北限は六間道路。
西は板屋町大通、東は馬込川までを指すようだ。
ほんの10年ほど前、この地域は浜松の典型的な下町だった。
狭い路地を曲がりながら町並みを横断する赤電は、
その10年前に高架になってしまったけれど。
車1台がぎりぎり通れるだけの細い道が、縦横無尽に行き交うこの地域。
生活の場だった。
何しろ車が来ないから、歩きやすく自転車で動きやすい。
このメリットは大きかった。
道端で話し込む、自転車で子供らが走り回る、普通にそういう光景が広がってた。
それから数年後、再開発の名の下に一気に更地化が始まった。
行きつけの写真店も、
珈琲屋も無くなり、
古ぼけてた眼科が消え、
うちの母が通っていた地域唯一のスーパーが消え、
家々も塀も垣根も、
曲がりくねった道路も、
何もかもがどんどん消えていってしまった。
この地域に隣接した地域にとって、喪失感は相当のものだった。
隣接地域にあった我が家の仕事場で働いていた母は、めっきり街中に出てこなくなった。
あまり語らないけど、顔見知りが消えて散り散りになり、
張り合いが無くなったんだと思う。
仕方無しに友達が多く勤めていた松菱などに仕事帰りに食材を買いに行くようになったのだが、
この松菱も数年前に消滅した。
いまや完全なる在宅勤務状態である。
私の子供が通っていた幼稚園も大打撃を受けていた。
何しろ、それまでマーケットとしていた地域が、
あれよあれよと言う間に縮小し、しまいに消えてなくなってしまったのである。
そして、まるで空襲でも受けたかのような乱暴な破壊作業の後、
アクトシティから八幡神社に向けて、妙な道路が作られ始めた。
通称・シンボル道路である。
本来は八幡神社の参道とリンクする予定だったのだが、
六間道路と参道の間にマンションが一棟立ってしまい、その計画は挫折。
結局アクトと六間道路を結ぶだけとなった。
まったく何のシンボルだか意味不明である。
そしてこの周辺にはオフィス街が計画されていたようだ。
しかしながら、数年遅れのバブル崩壊の波が浜松を襲い、計画は次々頓挫
使い道の無いまとまった土地は、マンションに切り替えられていくことになった。
ここに空前の浜松駅前マンションブームが到来する。
本来はただの下町だったこの地域だが、用地買収時が数年遅れのバブル絶頂時だった事もあり、
信じがたい高値で取引されていたらしい。
その後あっけなく下落していったわけだが、当然ながらこの地区の土地の値段は、不相応に高く設定されていた。採算が合うのは集合住宅のみなのだ。
それでも採算が厳しいためか、ターゲットを高額所得者に絞り、高級志向で作られたものが多かった。
これが当たった。次々完売したのである。
一説に寄れば、これは都内でも見られる街中回帰現象ではないかとのことだ。しかし、都内と異なるのは、購入者のほとんどを占めているのが引退した高齢者なのである。
住み慣れた街中を区画整理で追い出された人達は、三方原の片隅や、畑だらけの一軒家に追いやられた。街中で生まれ育った人達にとって、この環境は相当にきつい。
周辺部は自然だけは豊かだ。しかし、電車はおろかバスなどの交通機関もろくになく、家族一人ひとりに車一台は当たり前、買い物はSCに家族で1BOXで乗り付けてドカーンと一週間分買っちゃうという実にアメリカンな地域なのである。
車の運転が出来ない人間は、生活する権利すら奪われるのがこの地域の特徴でもある。
まず歩いていける商店なんてあるわけもなし。
だいたい人が歩いてる姿を見かける事すらマレである。
恐ろしい環境なのだ。
高齢者には悪夢である。
俺も年寄りになったら田舎暮らしがしたいぜ、と抜かす愚かな都会人さんもいるようだが、そんなものは幻想に過ぎぬ。
よほどの自活力と生命力でも無い限り、毎日を生き抜くことすら実は難しいと思い知るだろう。
田舎暮らしは、特に農業従事というのは、半端無いスキルを要求する高度な生活なのである。
この中途半端なサイズの浜松ですら、街中育ちの人間は散々苦労するのが現実だ。
結局、彼らは次々とUターンしていったのである。
そしてUターンした彼らは、介護の必要な高齢者になっていたのである。
私は今日は一人、事務所で仕事していた。
なかなか仕事が終わらず、仕方無しに近所のマンションの下に新しく入ったスーパーに晩御飯を買いに歩いていった。
思えばこの地域としては数年ぶりのまともなスーパーである。
高値で売られたマンションに住む高額所得者をターゲットとした成城石井もどき(あくまでもどき)なスーパーである。
置いてある食材を見て色々突っ込みは入れたくなるけれど、所詮は市内に昔からあるチェーンが背伸びして都会ぶってやってるだけなので、高望みはしないことにしている。
あるだけでも有難いのだから。
しかし改めて驚くのは、夜のこのスーパーに買いに来る人達の年齢である。普段は仕事帰りの共働き主婦やらOLさんやらの姿も目立つのに、土曜日の夜は一気に高年齢化するのだ。
若者の姿は一切無い。
鍛治町や千歳から遠く離れたここにわざわざ来る理由も無いから当たり前だけど。
土曜日の街中であることが信じられない。
さっき私の前に並んで買い物をしていた老婦人が、杖を片手にシンボル道路のやたら派手な外灯の下をてくてくと歩いていく。
何でこんなことになってしまったんだろうか。
そういいながらその一角に事務所構えてちゃ、しょうがないのだけれど。
アクトシティを南の端とし、北限は六間道路。
西は板屋町大通、東は馬込川までを指すようだ。
ほんの10年ほど前、この地域は浜松の典型的な下町だった。
狭い路地を曲がりながら町並みを横断する赤電は、
その10年前に高架になってしまったけれど。
車1台がぎりぎり通れるだけの細い道が、縦横無尽に行き交うこの地域。
生活の場だった。
何しろ車が来ないから、歩きやすく自転車で動きやすい。
このメリットは大きかった。
道端で話し込む、自転車で子供らが走り回る、普通にそういう光景が広がってた。
それから数年後、再開発の名の下に一気に更地化が始まった。
行きつけの写真店も、
珈琲屋も無くなり、
古ぼけてた眼科が消え、
うちの母が通っていた地域唯一のスーパーが消え、
家々も塀も垣根も、
曲がりくねった道路も、
何もかもがどんどん消えていってしまった。
この地域に隣接した地域にとって、喪失感は相当のものだった。
隣接地域にあった我が家の仕事場で働いていた母は、めっきり街中に出てこなくなった。
あまり語らないけど、顔見知りが消えて散り散りになり、
張り合いが無くなったんだと思う。
仕方無しに友達が多く勤めていた松菱などに仕事帰りに食材を買いに行くようになったのだが、
この松菱も数年前に消滅した。
いまや完全なる在宅勤務状態である。
私の子供が通っていた幼稚園も大打撃を受けていた。
何しろ、それまでマーケットとしていた地域が、
あれよあれよと言う間に縮小し、しまいに消えてなくなってしまったのである。
そして、まるで空襲でも受けたかのような乱暴な破壊作業の後、
アクトシティから八幡神社に向けて、妙な道路が作られ始めた。
通称・シンボル道路である。
本来は八幡神社の参道とリンクする予定だったのだが、
六間道路と参道の間にマンションが一棟立ってしまい、その計画は挫折。
結局アクトと六間道路を結ぶだけとなった。
まったく何のシンボルだか意味不明である。
そしてこの周辺にはオフィス街が計画されていたようだ。
しかしながら、数年遅れのバブル崩壊の波が浜松を襲い、計画は次々頓挫
使い道の無いまとまった土地は、マンションに切り替えられていくことになった。
ここに空前の浜松駅前マンションブームが到来する。
本来はただの下町だったこの地域だが、用地買収時が数年遅れのバブル絶頂時だった事もあり、
信じがたい高値で取引されていたらしい。
その後あっけなく下落していったわけだが、当然ながらこの地区の土地の値段は、不相応に高く設定されていた。採算が合うのは集合住宅のみなのだ。
それでも採算が厳しいためか、ターゲットを高額所得者に絞り、高級志向で作られたものが多かった。
これが当たった。次々完売したのである。
一説に寄れば、これは都内でも見られる街中回帰現象ではないかとのことだ。しかし、都内と異なるのは、購入者のほとんどを占めているのが引退した高齢者なのである。
住み慣れた街中を区画整理で追い出された人達は、三方原の片隅や、畑だらけの一軒家に追いやられた。街中で生まれ育った人達にとって、この環境は相当にきつい。
周辺部は自然だけは豊かだ。しかし、電車はおろかバスなどの交通機関もろくになく、家族一人ひとりに車一台は当たり前、買い物はSCに家族で1BOXで乗り付けてドカーンと一週間分買っちゃうという実にアメリカンな地域なのである。
車の運転が出来ない人間は、生活する権利すら奪われるのがこの地域の特徴でもある。
まず歩いていける商店なんてあるわけもなし。
だいたい人が歩いてる姿を見かける事すらマレである。
恐ろしい環境なのだ。
高齢者には悪夢である。
俺も年寄りになったら田舎暮らしがしたいぜ、と抜かす愚かな都会人さんもいるようだが、そんなものは幻想に過ぎぬ。
よほどの自活力と生命力でも無い限り、毎日を生き抜くことすら実は難しいと思い知るだろう。
田舎暮らしは、特に農業従事というのは、半端無いスキルを要求する高度な生活なのである。
この中途半端なサイズの浜松ですら、街中育ちの人間は散々苦労するのが現実だ。
結局、彼らは次々とUターンしていったのである。
そしてUターンした彼らは、介護の必要な高齢者になっていたのである。
私は今日は一人、事務所で仕事していた。
なかなか仕事が終わらず、仕方無しに近所のマンションの下に新しく入ったスーパーに晩御飯を買いに歩いていった。
思えばこの地域としては数年ぶりのまともなスーパーである。
高値で売られたマンションに住む高額所得者をターゲットとした成城石井もどき(あくまでもどき)なスーパーである。
置いてある食材を見て色々突っ込みは入れたくなるけれど、所詮は市内に昔からあるチェーンが背伸びして都会ぶってやってるだけなので、高望みはしないことにしている。
あるだけでも有難いのだから。
しかし改めて驚くのは、夜のこのスーパーに買いに来る人達の年齢である。普段は仕事帰りの共働き主婦やらOLさんやらの姿も目立つのに、土曜日の夜は一気に高年齢化するのだ。
若者の姿は一切無い。
鍛治町や千歳から遠く離れたここにわざわざ来る理由も無いから当たり前だけど。
土曜日の街中であることが信じられない。
さっき私の前に並んで買い物をしていた老婦人が、杖を片手にシンボル道路のやたら派手な外灯の下をてくてくと歩いていく。
何でこんなことになってしまったんだろうか。
そういいながらその一角に事務所構えてちゃ、しょうがないのだけれど。
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